2006年06月28日
 

力について

オランダ敗退が悲しい鬼喜王子です。
蚊の飛ぶ季節になりましたが「ka」ではなく「chikara」についてです。

先日「十二時」に、ホー・チミンの曾孫にあたるお客様がいらっしゃいました。
古来、国を興した英雄や革命家という人々は、どんなに温厚な好青年であったとしても、革命が完了し権力を握ったとたんに自分の地位を失うことを恐れ、冷酷な独裁者になるものである。遠くは漢の高祖、近くはソ連のスターリン等、ほとんど例外はない。
その数少ない例外が、ベトナムのホー・チミンである。そんな訳で僕は彼を尊敬していたので、ちょっと感激だった。ひ孫さん自体は普通のせいねんだったのだけれども。

ほとんどの人間は、力を持つとその力ゆえに自らをゆがめてしまう。
僕が大学で宗教学というものをやっていたとき、創価学会のドン・池田大作がなぜカリスマたりえるか調べたことがある。学会員の方には大変申し訳ないが、なんであんな淀んだ目をした強欲そうなジジイにみんなついていくのか? と。
青年時代の池田氏の写真を見てびっくりした。そこには「青雲の志」というものを人格化したような魅力あふれる人物がいたのだ。

で、日本サッカー協会の川淵会長(キャプテンというハズカシい呼称はあえて無視する)である。
常識的に判断して、「オシム監督発言」は、明らかに今回の日本のワールドカップ惨敗を招いた監督を選んだ自分への責任追及をさける手段だろう。
良識的なジャーナリストがこの件に関しては批判を行っているので、敢えてここでは何も言わないが、日本のサッカーが川淵氏のわがままで、4年間成長できなかったのは事実である。そして組織のトップの権力欲のために、また同じことを繰り返そうとしている。
川淵氏もJリーグをを発足させたときは、自らの進退を顧みず理想に突き進む「志士」であったのだ。
人は力故にゆがんでしまう。

そして問題はその問題に我々が踊らされていて気がつかないことである。
サッカージャーナリストの宇都宮徹壱氏が指摘したように、世界と日本との戦力差を見誤り、お祭り騒ぎで戦いに突入しぼろ負けをしたのは、太平洋戦争のときと何ら変わっていないのだ。
背筋が寒くなる。
正直ここまでサッカーが奥深いスポーツだとは思わなかった。

Posted by kiki at 17:07 |

コメント

 

コメントしてください




保存しますか?



2008年02月
 
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29