2006年08月30日
 

さらば文京区!

寿司を食うときはイカからの、鬼喜王子です。

昨日はお休みをいただいたので、家で引越しのための荷物の整理なんぞをやっていた。
漫画家・柳沢きみおは傑作『大市民』のなかで、小説家は刺激を受けるため長くても5年に一度は住む場所を変えるべきだ、と言っていたが、これは小説家に限らず頭を使う職業の人間にはそのとおりだと思う。

この街には長く居すぎた。荷物の整理をしていると、音信不通となった友人からの年賀状、音楽業界でタダ同然のギャラで活動していたときにもらった名刺、そのとき好きだった女の子からもらったブーケ、その後こっぴどい別れ方をした当時の彼女からもらった手紙、昔よく使っていたマジック道具、等が生々しい思い出を呼び起こしてくる。
全部捨ててしまった。

NHKの番組「プロフェッショナル」の夏の特番でも言っていたが、人生で成長をするためには、大きな壁にぶつからなくてはいけないらしい。この街に住んでいた6年間、20代の後半というのは、その大きな壁にぶつかり乗り越えた時期なのだった。
スガシカオはどん底の時代、ご飯に胃薬をかけて食ったというが、僕も金が無かった時代は、一日中働いて、口にするのはペットボトルに入った水道水だけ、という日々もあった。
マジシャンとしての収入はほとんど無く、バイトに明け暮れる日々。「このままでいいのか」と不安がよぎることはあるものの、迷いはなかった。「プロになる」と思っていた。「プロになれる」とか「プロになりたい」とかではない、「プロになる」という根拠の無い強烈な自信。シカオちゃんもそうだったというが、「オレがデビューしたらマジックの歴史が変わる」と本気で信じていた。
バイトでどんどん仕事を任されるようになり、正社員の話も出てきはじめた頃、「このままではいかん」と思い、思い切ってバイトを全部やめた。
その後半年は同居する弟に寄生する日々。成人男性として最低の生活を送っていた。
英国の元首相・チャーチルの座右の銘は「絶対に、絶対に、絶対に、あきらめるな」だったらしい。星野仙一氏が阪神の監督だったときも、同じ意味のことをスローガンに掲げていた。
今の僕がここにいるのは、多くの人々の支えと応援、そして天から与えられたチャンスがあったからだが、あきらめていれば得ることはできなかったと思うのだ。

新しい一歩を踏み出すため、もうすぐこの街にさよならだ。


白山ラーメン.jpg
白山ラーメン。これもこの街に住んだいい思い出のひとつ

Posted by kiki at 01:22 |

コメント

 

コメントしてください




保存しますか?



2008年02月
 
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29