2009年06月19日
 

「運命・・・」   喜代野

テンドー師匠 追憶.jpg

師匠が亡くなってから、20日が経ちました。
まだ、実感がありませんし、信じられません。
事実として受け入れてはいます。

毎日、銀座十二時ではペリエをグラスに注いで置いています。

ペリエ テンドー.jpg

書きたかったこと

5/25 23:45頃 血吐の連絡が・・・・そして5/26 0:17。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奥様から血吐の連絡がはいり、
BOSSの一言「ヤバい店を閉めろ!先に行く」
(お客様がいらっしゃったので)
BOSSと雪さんがすっ飛んで行きました。(私もすぐ後から)

雪さんより聞きました。
(真っ先に着いて、「BOSSが看護婦に大丈夫か!」の問いに看護婦の首が横に振られたと・・・
 走って階段を上り、テンドーさんの姿が・・・綺麗で安らかなお顔をされていたと・・・。
『BOSSは静かにテンドーさんの頬に手をあてて「すみません」』と言ったそうです。)

私は、後から駆けつけテンドー師匠を筑波のご自宅まで搬送。
奥様が運転されようとしたので、聰さんが運転、私達も後に続きました。
(藤山晃太郎さんと摩耶一星さんも駆けつけてました。)
搬送を終え、銀座に戻りました。

マーカ・テンドー追悼2.jpg
ミュージカルに私が出演した時に見に来て下さった時

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
経過2009/5/25

遺伝子治療により、内視鏡での映像で喉頭がんは奇麗に無くなっていました。
そして、食道の通る一部分全てをびっちりふさぐ癌の固まりを見ました。
(勿論奥様も一緒です。)このとき、肺炎も起こしていました。

これは、1週間前の事です。

先生が「体調が良ければ5/25に直接癌細胞に直接打つ」事を考えて頂いていました。
肺炎が治まらず回避、通常治療をし寝かせてくれました。

入院先では高熱が出るのにクリニックに着くとスーと熱が引き、安心して寝に入ります。

入院先でのストレスが溜まっていました。
基本的には通院治療なので、他の病院では入院を受けて入れて下さらない。
万が一の時、責任所在が解らなくなりますから。

もっと、心のケアを優先して下さる他の受け入れ先を一ヶ月前程から探し続けていて
空きが5/26日という病院をクリニックより探して頂いていました。

25日の昼間にBOSSと奥様と話しをされ、入院先の変更を決意。
5/26はEMPOWER関係者全員でお昼から移送をすることになっていました。

他に、BOSSの知人で「免疫治療」を無償でやっていただけるという方が真剣に
クリニックの先生と準備をしている最中でもありました。

(5/25日の私のブログに一度経過のことを載せたのですが、知らせがあり、消しました。)

「あと一日。たった一日。」という悔しい気持ちしか無かったです。
 なんで私の誕生日に・・・

5/25日昼間、通院を手伝っていた雪さんはタクシーの中で笑顔が見れたと・・・
BOSSは、クリニックでこの日、最後の姿を・・・

いつも、付けて下さっていた
銀座十二時のオリジナルネックストラップで
ベッドの所に携帯電話をくくり付けてあったのが印象に残ってます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

マーカ・テンドー追悼4.jpg

BOSSはテンドーさんの妖精の様なパフォーマンスに魅了され
過去を悔い改められた姿と家族に対する愛情に感動を覚え、
信頼と共に応援をしていました。
(昨年12月に話しをされ今年、3月からレギュラーで入ってもらう事にもなっていたんです)

癌は心のケアがとても大切である事を知りました。
それと、抗がん剤と放射線治療は最後の手段だなとも思いました。

入院先で、ファンカードの練習中に
「治ったときお前、覚悟しろよ」という言葉が残っています。
弟子はとらないと言っていたのですが、弟子にして下さいました。

マーカ・テンドー追悼6.jpg

頑張って行きます。
色んな方々の応援指導も頂いています。

師匠!喝を!お願いしますね!

マーカ・テンドー追悼5.jpg

喜代野

Posted by kiyono at 05:18 |

コメント

 

コメントしてください




保存しますか?



2009年12月
 
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31